韓国の日常のあいさつ、「ご飯食べた?」
#とんこ#がソウルの西江大学語学堂に
留学していたころの話。
#とんこ#は
韓国人の
友人と
昼の
2時くらいに待ち合わせ。
出会ってすぐ、
彼は
ご飯食べましたか?
밥 먹었어요?/パプ モゴッソヨ?
と言って来た。
おいおい、今2時だよ。
食べて来たに決まってるだろう…。
仮にとんこが食べてなかったとして
「食べてない」って答えたら
どう返事するつもりなんだろう。
変なこと聞くなぁ… "o(-_-;*)
と、思いながらも、
ふと
あ、もしかして彼は食べてなくて
私もまだなら一緒に食べようと
思っているのかもしれないな…
と思ったので聞いてみた。
「チャンミンはご飯食べた?」
「はい。」
えっ??
あんた、食べとんかい!-_-;
12時半や
13時くらいに会ったなら
相手への配慮として食事の有無を聞くこともあるだろう。
2時にその質問は
ちょっとナンセンスじゃないだろうか?
と#とんこ#は思った。
しかし、こういったことを
#とんこ#は何度か経験したわけですね。
でもね!
実はコレ、本当の質問じゃないんです
!
これはただの
挨拶言葉~
※朝昼晩のいつでも使える。
当時、
留学したばかりで
そういった知識のなかった#とんこ#は
言葉通りに意味を解釈したわけですね。
挨拶だと知らない#とんこ#は
「なぜいちいちそんなことを聞くのか、
たまになら分かるけれど
聞かれる頻度が多いと
ほっといてほしい」
と思ってしまっていたのだ。
「パプ モゴッソヨ?」の語源
昔々、貧しい農民達は
食料の蓄えがあまりない厳しい冬に
「ご飯食べましたか?」という挨拶を交わしたそうだ。
食べたということは
何とか生活できているということで
無事だということになるのである。
その言葉が現代では
相手の健康や生活状態を思いやって
使われているのだろう。
相手がご飯を
食べていなければ
身体の具合が悪いのか?
生活が苦しいのか?
食事できないくらい忙しいのか?
と気にかけることができるからである。
そう考えればとても
素敵な挨拶なのだが
#とんこ#はこの
挨拶が非常に
苦手。
この挨拶が苦手なわけ
理由1
#とんこ#が誰かから
「パプ モゴッソヨ?」
と挨拶されたときに実は
ご飯を食べていないときがある。
でもね、単なる
挨拶だからと思って
馬鹿正直に
「いえ、まだですよ」
と答えると話がややこしくなると思ってしまうのだ。
・いちいち食べてない理由を聞かれる
・相手がとんこに気を遣ってしまう
・相手もまだなら一緒に食べに行こう
・という展開になる可能性がある
・相手が食事済の場合、行き先を変更して
・無理やり食事が可能な場所を
・提案してくるかもしれない
で、結局は食べてないのに
「うん、食べたよ」と
嘘の返事をすることになってしまう。
時間がなくて食べ損ねただけで
実はお腹が減っていたのなら
有難い
挨拶言葉だと思う。
でも、実際は
お金を節約したいから
ダイエットしたいから
食欲がないから食事を抜いた等
理由はいろいろだ。
そこで食べる食べないという話になるのは
#とんこ#としては面倒なのである。
理由2
義母や
義父が電話をかけてくると
第一声はたいてい
ご飯食べた?
밥 먹었니?/パプ モゴンニ?
である。
夜8時ごろ
義母が電話をしてくるとする。
「パプ モゴンニ?」
しかし、#とんこ#は夕食の準備中で
まだ食べていない場合がある。
夜の8時に「まだです」とは言いにくい。
「え?まだなの?遅いわねぇ」
となるのが
オチである。
かといって
義母に対して
嘘ついて
「はい、食べました」とも言いにくい。
仮に、
「食べました」と言えば
電話が長話になる可能性もある。
今は調理中なのでそれでは困るのだ。
韓国人と交流すると非常によく聞く言葉、
ご飯食べましたか?
パプ モゴソヨ?
皆さんもぜひ使ってみて下さい。
まあ、「お元気ですか」という挨拶言葉も
元気じゃなかったらどうするの
といえば同じなんですけどね~。
年上の人に敬語で言う場合の一例
朝食召し上がりましたか?
아침 드셨어요?/アチ
ム ドゥショッソヨ?
昼食召し上がりましたか?
점심 드셨어요?/ジョ
ムシ
ム 〃?
夕食召し上がりましたか?
저녁 드셨어요?/チョニョ
ク 〃?
お食事なさりましたか?
식사 하셨어요?/シ
クサ ハショッソヨ?
#ご飯食べましたか? #挨拶言葉
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